Lost my way. 迷子。
Last September 9th
I went to Vancouver one years ago on this day.
I remember the day I went to the airport like it was yesterday.
People will never be able to eliminate their past.
I am who I am now because of my past.
1年前の9月9日。カナダに出発の日。台風が来とって電車が混雑しとったのを覚えとる。
今があるのはカナダに行ったけん。カナダに行ったのはその前があったけん。その前も。
人は毎日 得るもんがあって、変わってくって思うんやけど、失くすもんもあるわな。
失くしたもんがあって、で、その失ったことを無くすこともできんくて、それがあるけん今があって、、、
そこから続く→これからなんやと思う。
わけわからん。
初めて受け持った子は今、高校1年生。(福岡)
時々連絡くれる。「先生〜」って。
2014年の卒園アルバム(香港の幼稚園)のメッセージに「地球のどこかでかくれんぼしてるので、大人になったら探しに来てね」って書いた。
その後、バリに行ってカナダにも行って、今は日本。
初めて会った人に「子ども好きなんですね」って言われます。
ただ、自分の中の感覚は好きとかじゃなく、子どもたちへの「想い」。
自分の生活に子どもたちがいるのが当たり前で、普通のことになってる。
この仕事って、その場で形に残る喜びや 返ってくるものがない(むしろ返ってくるものを求めてない)。
言ってしまえば、小学校以降の先生たちと違って 殆どの子どもたちの記憶に残らないくらいの存在。
じゃあ、「子どもたちと過ごした時間で何が残ってくのか?」って聞かれたら、
「子どもたちが生きていくこと」そのものだと思う。自分たちと過ごした時間そのものが彼らが生きていく限りあり続けると思う。
勉強じゃない。知識じゃない。記憶じゃない。
生活する上で当たり前にできてること、考えること、話すこと、食べること、笑うこと 色々。
「やっててよかった」は形にできなくて、表現できないけど、唯一感じてもらえそうなものが一つだけある。
別のクラスの子から突然貰った走り書きの手紙。
告られたんか、フラれたんか分からんけど、
子どもたちと過ごす時間で「良い何か」を感じるのはこういうこと。
他にもあるけど、「感じる」ものだから伝えきれない。
ま、人それぞれ、やりがいを感じる事と瞬間は違うさね〜。
今、ついに現実ときちんと向き合う時期になってきてて。
「現実の問題」と「想い」
自分から先生をとったら何が残る。何で先生なん?先生って呼ばれたい?子どもと一緒にいたい?子どもに携わる仕事がしたい?いつか、自分が思い描く子どもの環境をつくりたいだけ?ただのロリコン?(それなはい。)求められてるのに、存在価値(評価価値)が低い。自分でやるにも、元がない。
どうにかなるっていうけど、スタート位置はみんな同じじゃない。始められない。むしろマイナス。
今、迷子。