努努疑う事勿れ。(こども編)
挨拶
2021年は一度も書かず、、1年10ヶ月ぶりのスケッチブログです👀
早速ですが、僕が保育や子どもの話をする際に発している言葉や内容について、ブログにも書き残していこうと思います。
(インスタグラムには画像で残していこうと思ったんですがまぁなかなか進まない 汗)
実は、僕の発言や考え方には、色々なマンガから参考にしているものもいくつかあります。
もちろん僕の話は、実体験が基本です。
自分が体験し経験したことでなければ説得力がないと思っています。
(常々言っていますが、「○○らしい。」ではなく、『☆☆だった!』と言える方が大切)
それではいきましょう🙋♂️
– 起承転結(伏線) –
今日は僕が保育の現場の中で、意識している『事実と真実』について、ごく一部ですが書いていきます。
今回は、子ども編。
努努疑う事勿れ。
読み方は「ゆめゆめ うたがう ことなかれ」
意味は調べて、組み合わせて考えてみて下さい。
子どもたちの“ケンカ”や“トラブル“と呼ばれるもの(個人的にはあまりこの表現は好きじゃない)には、大人が見ていない所で起きた出来事に対し、子どもたちの話を聞く事があると思います。
そのような時に、僕が意識していることです。
– 起承転結 –
先日ドラマ化され、記念すべき第一話が放送された【ミステリという勿れ】
https://www.fujitv.co.jp/mystery/。
僕は昔から推理ものが大好きで、子どもの頃からシャーロックホームズなど多くの推理本を読んでいたのですが、この作品も以前から読んでいたものの一つです。
第1話では大学生の主人公、整(ととのう)が、物語の始まりから突然殺人の疑いをかけられ、事情聴取中されながら事件の真相を解明するというもの。主人公の台詞の中で、僕が保育や物事の見極め人生に参考にしているものの一つが『真実と事実』です。(以下、ネタバレ含みます。)
取り調べ中、無実を主張する主人公に対し、刑事A(過去に無実の人を逮捕し冤罪事件で騒がれたことがある人)の発言に対して、返したセリフです。
刑事A「どれだけ虚言(ウソ)を尽くしても真実は一つなんだからな」 主人公「ええ?、、、えええ? 真実は一つなんて、そんなドラマみたいなセリフをほんとにいう人がいるなんて」
おっと。コナン君の名言を否定している漫画ではないので悪しからず。(続きをどうぞ)
主人公「真実は一つなんかじゃないですよ」 刑事A「何を言っている。真実が2つも3つもあったら おかしいだろうが」 主人公「そうですか?例えばAとBがいたとします。 ある時、階段でぶつかりBが落ちて怪我をした。 Bは日頃からAからいじめを受けていて、 『B:今回もわざと落とされた』と主張する。 ところがAはいじめている認識など全くなく、 遊んでいるつもりでいる。 『A:今回もただぶつかった』と言っている。 どっちもウソはついていません。 この場合真実ってなんですか?」 刑事A「そりゃAはいじめてないんだからBの思い込み だけで、ただぶつかって落ちた事故だろう」 主人公「そうですか?本当に?いじめていないという のはAが思っているだけです。 それはBの思い込みと同じです。 人は主観でしかものを見られない。 それが正しいとしか言えない。 ここに一部始終を目撃した人(C)がいたとして、 さらに違う印象を持つかもしれない。 (中略)だから戦争や紛争で、敵同士でした事 された事が食い違う。 どちらも嘘をついていなくても、 話を盛っていなくても必ず食い違う。 AはAの真実が全てで、BにはBの真実が全て」 「だから真実は一つじゃない。 2つや3つでもない。真実は人の数だけ あるんです。でも事実は一つ。 この場合、AとBがぶつかって Bがケガをしたということ。 警察が調べるのは人の真実なんかじゃない。 真実とかいうあやふやなものにとらわれる から冤罪事件が起きるのでは?」
ここまでが第一話のとある一部です。おもろ。
– 起承転結 –
僕は保育関係者と話す時にこの『事実と真実』を用いて話すことがあります。
その際、例としてよく挙げるのが、同じ階段や積み木・ブロックの話です。
(僕と話したことがある方は、もうお気づきの方もいると思いますが)
例えば、、、
しんご君とまお君が「壊した(壊された)/壊してない」「叩いた(叩かれた)/叩いてない」などの状態になっていたとします。
しんご君は「まお君に積み木を壊された」
まお君は「壊してない(崩してない)」
と主張しています。
この場合、まお君の体の一部が当たったのか当たってないのか、当たっていた場合にそれが故意かそうでないのかの確認は必要になりますが、もしかするとしんご君が目を離した隙に、自然に崩れ倒れたのかもしれません。
もしくは、まお君が一緒に積み木を積み上げていた時に、まお君の何かしらの動きによって倒れたのかもしれないですし、その後にゆっくり崩れ落ち、その瞬間は積み木に触れていなかったので「壊していない。触っていない」と言っているのかもしれません。
はたまた、たまたま側で遊び、通過した時にタイミング悪く崩れたのでしんご君に「まお君に壊された」と言われたり、本人は気づいていないだけで、まお君の体の一部が当たったのかもしれません。
考え出すとキリがないですし、大人が見ていなかった分、実際にどのような原因や要因で崩れ壊れたのか分からないこともあります。
ですが、ここでいう事実は一つ。
当たっていても、当たっていなくても積み木が『崩れた/壊れた』というのは事実です。
原因を知り明確にすることも大事ですが、子どもたちの主張と主張内容だけでなく、その時の心情や気持ちを察し感じ取ることも大切です。
そして起きた出来事を子どもたちがどう受け入れ、崩れた積み木をどうしたいのか/どうしていきたいのかを、自身が考えて決めていく(必要に応じて引き出していく)ことも大切になっていくと思います。
一番は、子どもたちとの関わりの中で、子どもたちの姿をどう捉えて一緒に過ごしていけるかだと思います。
– 起承転結 –
今回の例は、数ある捉え方や考え方がある中の一部ですが、子どもたちの環境だけでなく、保育者同士の関わりや保護者との関わり、世界にも事実や真実の見極め(整理すること)ができる時や活かせる場面があると思います。
次回はその大人の世界の一例を、今回よりも簡潔に(笑)書きたいと思います。題して、
努努忘るる事勿れ。
お気付きだと思いますが、
このブログ題の『勿れ』はマンガの名前をもじってみました。
意味はなんでしょうね
今回は長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございます。
努努疑う事勿れ。(こども編)
-ゆめゆめうたがうことなかれ-
Shing☺︎